序(1) 「ペーター•ダム」についてご主人様は語る 

飼い主であるご主人様のパソコンをこっそり開いたら、ご主人様が尊敬する「ペーター•ダム」というホルン奏者についての長文を見つけた。長いので勝手に分けて掲載する。


 

「ペーター•ダム」を知っている人は少ないかもしれない。ペーター•ダムは世界が鉄のカーテンで東西に分断されていた冷戦時代、我々からみた「向こう側」の東ドイツで活躍したホルン奏者だ。「ホルン奏者」自体がマイナーな存在なのに、引退してすでに20年以上たった東ドイツのホルン奏者を知る人が少ないのは当然だろう。ドイツが東西に分かれていたことすら知らない世代が増えてきたのだから。

1982年、まだ中学生だった頃の古い日記を引っ張り出して、ペーター•ダムのレコードと初めて出会った日のことを書いている部分を見つけた。北国の小さな街。一年で最も寒い冬の放課後だ。レコード屋から注文していたLPが届いたという電話があったので、受け取りに行ったのだ。どんな感動的な日記だろうか。原文のまま転記する。

2月3日(木)

「ペーター•ダムのホルン協奏曲をとりにいったが、きいてみるときずがあった。」

 

それだけ?、と自分でつっこみたくなる気持ちでいっぱいだが、そのまま引用した。中学2年生なのにひらがな遣いも恥ずかしい。ちなみにレコードは返品し、一週間後に新しいものと交換してもらっている。吹奏楽部で同じホルンを吹いていた自分にとって、その音は当時の理想とはかけ離れていたのだろう。日記の書き方もうすい。金管楽器は音をまっすぐ吹くことが基本中の基本と教えられたのに、ビブラートをふんだんに用いて吹く彼のスタイルは風変わりと感じた。

しかし、なぜだろう。時間がたてばたつほど、ペーター•ダムの音楽が好きになる。

彼のような演奏をする奏者はもういない。今はどこの国のオーケストラも奏者の技術が向上し、画一化が進んでいる。ユニークなホルン奏者たちが輝いていた時代は忘れ去られてゆくのかもしれないが、自分は最後の一人になってもペーター•ダムの素晴らしさを語り続けたいと思うようになった。多くの人にペーター•ダムの音楽に触れてもらい、何かを感じ取って欲しいのだ。

たとえ時間がかかったとしても、クラシックを聴かない人たちですら「ペーター•ダムだけは聴く。」くらい言ってくれるようになってほしい。 

さらに欲を言えば、ペーター•ダムの名録音についての本を上梓したいくらいだ。タイトルは、

  • 『できる人が聴いている10のペーター•ダム』
  • 『20代に聴いておきたいペーター•ダム』(30代、40代、50代とシリーズ化する)
  • 『ペーター•ダムですべて上手くいく!』

あたりではどうだろうか。

あまりたくさん売れる気がしないが、今の世の中何があってもおかしくない。わたしの「ダム本」が東京神保町の東京堂書店のベストセラーコーナーに飾られる日が来てもいいはずだ。

 

Kuuta
Kuuta

ご主人様の野望はとどまることを知りません。。